emo.

「好き」と「素敵」を忘れない為の、私のためのポエミー備忘録。

日日是好日

母に誘われて行く気になっていた映画を、今日観に行くことになった。

日日是好日

黒木華さん、多部未華子さん共演の、茶道と人生がテーマの映画である。

 

どうして心惹かれたのだろうと聞かれれば、大した理由は無い。お茶だって習ってないし、普段は洋画のとびきり五月蝿いやつを嬉嬉として見に行くタイプの人間である。

しかし、キャストを一目見て、「ああ、これは見に行くんだろうな」と自分でも思ってしまったのは、この女優さん達がこっそり贔屓にしていた方々だからだろう。

ただ可愛いだけじゃない。

なんだか「人間らしい」「等身大」の演技を、ドラマの中で見せてくれる人達だから。

 

母と毎週欠かさず見ていた多部未華子主演のドラマ「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」と同じ匂いを感じたのもあるかもしれない。

穏やかに時が流れ、主人公がゆっくりと心境を変化させていくこのドラマは、視聴後の余韻もさることながら、なんだか勝手に涙が出てくるような良い作品だった。

 

そして彼女等の先生役として出演されるのが樹木希林さんである。平成最後の年に亡くなられた多くの著名人の中でも、私がとびきり衝撃を受けた御方であった。ああ、彼女の最期の封切り作品なのかもしれないな、と思ったらやっぱり観たくなってしまった。

 

結論から言えば、最初から最後まで勝手に涙が出てくるような作品だった。

大きな動きも無い。

登場人物それぞれに深くフォーカスした展開もない。

大きな挫折や「転」があるわけでも、歯切れの良い「結」があるわけでも、ない。

それでもただ緩やかに時が流れ、四季折々が繰り返されて、主人公・典子を取り巻く環境は変わってゆく。

大学時代に一生を賭ける何かを見つけたいと思いながらも悪戯に時は流れ、縁あって彼女は茶道を始めることになる。兎にも角にも「型」を覚えることから始まった茶道のお稽古で、彼女は少しずつ数年かけてその奥深さや面白さを理解していく。何もわからぬまま型をさせられて「何故」と問う彼女等に、頭で何でも考えるのではなく「形から入って、後から内を埋めていくのだ」と先生は答えた。

──この姿勢は、芸事すべてに通じるものではないか。

ふとそう思ってからは、典子に重ねて自分のお箏のお稽古や大学生活や人生のことをなぞるようになってしまった。

手の形や爪のあたり具合、無駄のない所作から紡がれる一音の美しさ──私は果たして先生に素直に教えを乞うていたろうか。勿体ないことをしたなあと数年前の自分を思い出して、少し情けなくなった。

主人公・典子の就職活動は上手くいかなかったようで、他にやりたい事もないからと夢見る「書く人」を目指して出版社でアルバイトをする進路に決める。従姉妹である美智子は商社に就職が決まり、順風満帆なスタートを切る。

とはいえ就活中のエピソードが作中に語られたわけではない。従姉妹との違いに悩み、苦しみ、打開する物語があるわけでもない。緩やかに時は過ぎていく。ただ「土曜日のお茶のお稽古」だけが変わらずそこに有るのである。

 

月日は流れ、お稽古に来る面子も変わり、美智子は退職して見合い結婚をした。典子だけが変わらず取り残されている。それでもお茶のお稽古はそこにある。

──芸事は身を助く、という言葉があるが、もしかすると助けるのはその「身体」だけでなく「心」もなのではないか。

人生のどん底にいようと、好調の時であろうと、お稽古はまた別の世界のように変わらず有り続けるのだ。お茶の世界は旧暦や歳時記をなぞるかのように、四季と節季に合わせてお菓子やお点前の方法を変えながら、一期一会のお茶席を開き続ける。ずっと変わらずに巡り続けている。なんと不思議で幸せなことだろう。

昨年の今頃は、定期演奏会で出演する小曲があまりに上手くいかなくて心がズタボロだった。そんな中、先生のお宅にお稽古に行って、お弟子さんと先生が古曲「春の曲」を弾いていらっしゃるのを聴いた時、その手事のあまりの美しさに泣きだしてしまったことがあった。情けなさや悔しさや羨望や、いろんな気持ちがない混ぜになって泪になってしまったのだろうと思う。

ちなみに、その後のお稽古で何かが劇的に変わった訳では無い。本番だってどちらかといえば中途半端な終わり方であった。それでも、その時その瞬間を私は一生忘れないだろう。

あの音は何より美しかったから。

 

 

そして典子がお茶を習い始めて24年が経過した。変わらず先生も教室もお稽古もそこに有る。少しずつ変化する世の中と、少しずつ深みを帯びて見について行く茶道と、幼少期から大人になって見え方が変わっていく自分と。

──芸事は人生なんだなあ、とすとんと胸の内に落ちた気がした。

卒業したら私はお箏を続けないのだろうなとぼんやり思っていた。それでも4年間の積み重ねがあるし、楽譜だってあるし、演奏会のお手伝いに行く約束はしているし……「でも」と「だって」をいくら積み重ねても、恐らく一度離れてしまえば私は二度とお箏に戻れないのだろう。この前、他大学の定期演奏会を聴きにいった帰り道に先生に衝動的にメールを送った。感謝や決意や諸々を伝えたかった。先生はその晩中に返信をくださって、私はまたしても少し泣きそうだった。

 

 

これまでの人生、変化ばかりが多くて長く続いたものなど無かった。唯一あるとすれば本を読むこととこんな風に好き勝手に筆を走らせることくらいである。それに箏を加えるのも、決して悪くないだろう。

21歳、秋。

当初目指していた業界とはまるで違うが、就職先も決まって残すところは卒論と幾つかの演奏会だけとなった。

夢が無いといっては嘘になるが、今どうしても追い掛けなければならないという気はしていない。回り道をして、縁があればその夢も叶うだろうくらいの気持ちでいる。

日日是好日

一日として同じ日は無い事を忘れなければ、きっと毎日が良い日になるし、前向きに生きていけそうな気がする。

 

さて、夜も遅いのでこの辺で筆を置くこととする。明後日は所属するゼミの発表日である。まずはその資料を仕上げるために、後悔のない準備をしようと思う。